出典 Pinterest
  赤ちゃんのエネルギー


七つ前の子は神様

七歳までの子は神に属している。
そして神がその運命を決める。—民俗学的言い伝え—

【考えるポイント】

私たち母親のところに来てくれた赤ちゃんは、まるで人間性を向上させるために
大人にさまざまなレッスンを教えてくれる先生のようです。
魂を向上させるために、赤ちゃんを授かった私たち母親はなんてラッキーなんでしょう。



ーランディー由紀子ー


(2006年の春に友人の赤ちゃんを預かっていた時の話です)


赤ちゃんのいるお母さんたちの気持ち、わたしゃよ~く分かります。

なんでって?


昨日から1ヶ月半の赤ちゃんを預かってるからよ~~~



我が家は新しく一緒に住むことになった15歳の姪と
朝から夕方まで預かっている赤ちゃんとで、
とってもにぎやかになりました。。。



生まれてから6週間しかたっていないNathaniel君(ナサちゃんと呼ぼう)の
お母さんはうちの子が小学校4年生の時の先生でご近所さん。


よく裏の公園で犬の散歩で会って立ち話・・・
つまりオバサン同士の世間話をする仲。


ある日、「赤ちゃんができるなんて羨ましいわ~」って、わたし。



「オ~、それなら学校に復職してから夏休みまで預かってちょうだいよ~。
Duganのお母さんに預かってもらえるなら、私はとっても安心だわ」
とナサちゃんのママ、トレーシー。


「そうねっ♪」って何も考えずに軽く答えてる、わたし。

そして、本当にその通りになっちゃって、今Duganのベッドで寝ているナサちゃん。

こうして書きながら、(これから夏休みまでの一月半どうしよう)と冷や汗のわたし。


小さな赤ちゃんのいるお母さんって本当に大変だったのね~~~オーマイゴッド!

もう13年も前のことだったので、楽しくて甘い記憶しか残っていず

赤ちゃんの面倒を見るということが、いかに大変だったか完璧に忘れていた。。。


しかし、、、、

赤ちゃんの威力ってとってもすごいと思う。



この間、あることがあってドワ~っと疲れていた時、
もうたまらなく体が重くてけだるくて氣が入らなかった。



それで、瞑想したり塩風呂入ったり、なんとか自分を癒そうとしていたのですが、
何をしても効き目がない。


そんな日の夕方、、、


買い物に行き、お母さんに抱っこされている赤ちゃんに
なんだか吸い込まれるような気がして見ていたら、
向こうも私をじ~っと見つめている。


もし、赤ちゃんの目と私の目が合っている時に音がしてたとしたら、
まさに「ピピピピ」といういう感じ。


そして信じてもらえないかもしれませんが、

ほんの一瞬その赤ちゃんと私との間でエネルギーが流れた感じがして、

その時、重くて疲れていた体が瞬間的にスッと軽くなり、

それまであった倦怠感が一瞬で消えてなくなったのです。


あれは一体何だったのだろう???



昨日一日ナサちゃんを預かって思ったことですが、

体は小さくても彼の赤ん坊の体の中に入っている魂は、

大人と同じくらい存在感があるのですね。



ナサちゃんと触れたその夜、瞑想をした私は、
いつもはすぐには行くことのできない、とても深い瞑想状態に
即効で行くことができました。


あれは一体何だったのだろう???



ナサちゃんを抱っこしていると、彼の目が光を追っているのが分かります。

光を追っている時のナサちゃんは

まるで自分の知っている世界を見ているような目をしています。



赤ちゃんって神様のようです。



それが大人になるとだんだん生まれ持って知っていることを
忘れちゃうのですよね。



大人になってから、赤ちゃんのような心に少しずつ戻れたらいいですね。

それが魂を磨くということなのかと、赤ちゃんが教えてくれてるような気がします。

そうやって考えると、子供を授かった親はラッキーなんだな~

だって先生が自分のもとに来てくれたようなものだものね。



あ~~~~

そんな夢想に耽っている場合じゃない。。。




ランディー由紀子


ー次につづくー



 子どもを幸せにする教育は誰にでもできます
 メンバーズ登録で、<無料>にてご提供します!



 



▼ 編集後記 ー@英語本スタッフー

*ランディー由紀子さんのブログ記事の元は2005〜7年に書かれたものを
再編集しています。


昔からの言い伝えで、地方によっては六つ〜という場合もありますが、おおむね数え年七つに
なるまでは人間社会の存在ではなく、半分は神の世界、あの世の世界に属していると考えられていました。

これは医療が未発達だった昔に幼子が多く命を落としていた事から、そう戒めていたという説もあります。
ちょっと悲しげな空気を感じますが、いわば子どもというのはあの世とこの世の境界に存在しているというのは いつの時代も感じられてた事なのかもしれませんね。