出典 Pinterest
  「今この時」は二度と戻ってこない


運命が明日何を決定するかを問うな。瞬間こそわれわれのものだ。さあ、瞬間を味わおうではないか。  

フリードリヒ・リュッケルト(ドイツの詩人、東洋学者)

前回の記事では、いくつかの「たまたま」が重なって、マミーがお散歩中に、テキサスから遠く離れたニューヨークに住んでいるウィリアムに出会ったお話でした。しかも、マミーはそれを予知していた・・・。そこから導き出されることとは?(英語本スタッフ)


ウィリアムに会うことを予知できたことで思ったことは
私たちのやることは、すでに決められているのだろうか?
ということです。

たまたま、いつもとは違う散歩コースに行ってみることにした

たまたま出かける間際に電話がかかってきて
その時間じゃないと外に行けなくなった

たまたまマニールに入ってみようと思った

などなど、たまたまだと思っていることの連続があったワケですが
でもそこで、予知した誰かに会ったということは
それはたまたま会ったワケではない。


予知してたのだから、たまたまじゃないですよね?

まるでそうなるために逆算して、様々なたまたまが起こっていた
と考えても不思議じゃないくらい
とても精巧にプランされていなければ
その時間にニューヨークに住んでいるウィリアムに
バッタリ会うことなんてなかった。

それは、このことに限ったことではなく
全てのことに当てはまるのではないでしょうか?

私たちの人生とは・・私たちの運命とは
すでに決められているのでしょうか?


でも、なんかね、その答えは知らなくていいような気がします。

というか、その答えを知る運命を持つ
一部の人しか知らない方がいいと思います。

なぜなら、私たちは生きているから。

生きなきゃいけないから。

なんで生きなきゃいけないのか?
その答えもいらないじゃん、べつに。

その答えを知ることは
禁断の場所に足を踏み入れるような気がするから。

でも、決められた運命を生きる。

それが苦しくても幸福でも、生きる。

山があったり坂があったりするけど
それも避けられない運命だとしたら
その運命をコントロールしようなどとせず
運命に逆らおうとせず与えられた運命を享受して生きる。

決められた運命があると思うのは
決して諦めの気持ちではありません。

あくまでも享受するのです。

つまり、一方的に与えられて仕方なく受け止めるのではなく
運命を自分のものとして素直に受け入れ
そして、自分のものとして楽しむこと。

毎日の出来事すべては、今しか起こらないことであり
運命とは、人間が計算するより
はるかに精巧にできたものと受け入れ
その一瞬一瞬に感謝の気持ちを持って
その一瞬一瞬をいいとか悪いとか
幸福だとか不幸だとか
ラッキーだとかアンラッキーだとかジャッジせず
そのままをそのままに素直に受け入れ
明からも暗からも何かを学んで
ただ向上するのみと思えれば
人生が楽しくなるのではないでしょうか。


どんなに小さなことも運命だとしたら
自分の子どもが私たちの元に来てくれたのは
それはもう、運命の他のなにものでもありません。

そう考えたら子育てしている毎日の
この時にしかない一瞬一瞬は
二度と戻らないチャンスだと思いませんか?

それが辛くても楽しくても、明でも暗でも
今この時はもう戻らない貴重な一瞬。

そのように心から思えたら・・・

たった今、目の前で床におしっこをしてくれた子どもを
愛しむ気持ちになりません?


私の場合は、反抗する息子がなんともありがたく思え
何があっても今ここにいて生きている喜びを
感謝の気持ちを持って噛み締めたいと思いました。

今この時は今しかなくて、もう二度と戻ってこないから。

心配してもしなくても、人生は成るようにしかならないのです。

なので、できることは今あることに感謝して
良くも悪くもジャッジせず
何があっても生きて、学んで向上するのみです。  




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▼ 編集後記ー@英語本スタッフー

「運命」は決まっていてそれを全て見通すことができたら・・・

人生つまらないでしょうね (^^ゞ


夢を見ている時に

「次の展開はわからない、でも本当は知っている

だって自分が筋書き書いているんだから。」

という感覚になることがありませんか?

まるで役に入り込んだ女優のようだ(笑)


人生も実は、本気のお芝居なのかもしれませんね。