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  成るようにしか成らない?


明日は明日の神が守る

明日のことをいくら心配してもどうにもならない 成るように成るということわざ

前回の記事では、ランディー家の夫婦喧嘩から始まりましたが、今日は夫婦そろってのお散歩から始まります。どんな展開になっていくのか、はじまり、はじまり・・・ (英語本スタッフ)


初っ端から、奇妙な話に入ってまいります。

でも最後まで読まないと、私のいつものように長い話には
全く合点がいきません。

と、前もってお知らせしておきます。

ある感謝祭の4連休の最後の日のことです。

息子はお友達の家に行ってしまい
日曜日の午後は夫と静かな時間を過ごしていました。

まるで老夫婦です。

4時頃でしょうか、ちょっとはエクササイズでもしなければ
ということで、夫と私は外に散歩にでかけることにしました。

老夫婦そのものです。

ところで前回、大喧嘩のことを書きましたが
自分自身の内に目を向けたらすぐに雨降って地が固まりまして
以前よりもはるかに家族が上手くいっております。

で、夫と私には、近くの小学校の周りという
いつもの散歩コースがありました。

しかしその日に限っては、夫が大きな道路の反対側にある
マニール美術館の方に行こうか?と言うので
ほんじゃま、たまにはそっちの方に散歩に行くか
ということになりました。


出かけ間際に電話が入ってきたりして
行こうと思った時に出れなくなる・・ということよくありません?

その時もそんな感じで、結局すぐには出れず
外は少しずつ暗くなりかけていました。

感謝祭の連休の最終日、そして日曜日ということもあり
いつもより車が少なく外の音がザワザワしていないためか
その時は空気が動いていないような五感で感じる雰囲気が
いつもとは違う、まったりとした夕方でした。

当時の我が家の立地は、ヒューストンの
ミュージアム地域と呼ばれる地域のはずれにありました。

ミュージアム地域の中心には、美術館、彫刻の庭、
現代美術の美術館、科学博物館、チルドレン・ミュージアムや
ホロコースト・ミュージアムなどがありますが
家の近くのミュージアムは、プライベートの
されども知る人は知る、知らない人は知らない(当たり前だ!)
マニール夫人が築いた世界的に有名なミュージアムがいくつかあります。

マニール夫人は石油関係の仕事で財を成した家庭の娘で
すっごいお金持ちだったんですね。
そのお金で美術品のコレクションをして無料で開放している
ミュージアムを4つ、この地域に建てたのです。

で、そこは、う~ん、家から歩いて7分くらい、かな。

夫と私がそちらの方向に歩いて行き
信号で待っていると目の前を横切った車を運転していた女性が
「あ、ウィリアムのお嬢さんだ!」と思いきや
よーく見たら彼女ではない。

しかも全然似てさえもいないときた。

なので、どうしてウィリアムの娘さんだと思ったか
私はちょっと(変だな)と思いました。

自分の頭に浮かんでくることを観察するのが
日ごろから癖になっていますと、ちょっとした心の動きから
それが潜在意識からの思いなのかエゴなのか
自分が勝手に作っている妄想なのか・・・
などなど、少しずつ区別が付くようになると、思っています。

そう思いませんか?

ちなみにこれを言語でもやるときがあります。
英語と日本語どっちで考えているのか
または言語を使って考えていないか、など観察したり
今何を考えていたのだろうと思うと
(何を考えていたのだろう、何を考えていたのだろう)と
何を考えているのだろうについて考えていたり
ああ、ワケが分からなくなってきます・・ ゴメンナサイ

で、ウィリアムという一人の人が私の頭の中に
その時点で飛び込んできたことに私の意識が気づきました。

ところで、ウィリアムは昔ヒューストンに住んでいた人で
今はニューヨークにいます。

彼がまだヒューストンに住んでいた時、こんなことがありました。

彼はふるーいクリーニング工場を外見はそのままで
中だけ改装してスタジオ兼、住まいにして住んでいました。
中はアートそのものでバスルームからキッチンから
一つ一つの部屋すべてがスタイリッシュでした。

で、外見は工場でしょ。
そんでもって白い大きな壁があるんですね。

なので、スプレーペイントでグラフィティーを描く
不良たちにはもってこいのキャンバス!
ウィリアムは彼の家の外壁全体をグラフィティーを描きたい
不良ちゃんたちに提供して彼らに好きなように描かせてあげたのです。

ところが、ヒューストンの警察が勝手に
白いペンキで上塗りしちゃってウィリアムの壁を
親切にも元に戻してくれた。。。

そしてウィリアムは警察に感謝・・・

じゃなくて怒っちゃったんだよね。

というのは、彼は貧困の中で育ち良い教育を受けられない
若者たちがグラフィティーを自分たちを表現する
メディアにしていることは大いに結構じゃないか
と思っていたのです。

なので彼は怒りました。

だって警察がアーティストの著作権を侵害したワケだから。

建物の主もそれでいいと思っていたのに
勝手に消しちまったワケだから。

このことは新聞で取り上げられ
“グラフィティー=ばか者たちのいたずら描き”
という扱いから“グラフィティー=芸術”として
捉えるムーブメントが起こりました。

この事件が原動力となって、元よりアート界に精通している彼は
グラフィティーアートの展覧会を開催することになったのですが・・・

ウィリアムがかっこいいところとは
このサ、展覧会にサ、街の不良たちだけじゃなくて
警察官もたくさん招待したことだったの!
なのでラッパーたちと警察官が談笑している
という場面もあったのです。

しかも、普通のアート展には来ないような
オホホな白人のお金持ちだけでなく地域の
しかも様々な人種の人たちが、この展覧会には来ました。
うちの子がまだ9歳くらいの頃だったかしら。

でもその後、ウィリアムはニューヨークに行ってしまい
たまーにヒューストンに帰ってくる時に電話してくれたけど
それから2回くらいしか会っていませんでした。


夫と散歩してた時、私の中でなぜか
強くウィリアムのことが思い出されていました。

そして、昔、美術の仕事をしていた時には年中行っていたのですが
その時には、逆に近すぎていつでも行けると思って行かない
マニール美術館にたまたま、本当にたっまたま、
「マニールの中に入ろうか」とふと夫に言ったのです。

その時(ウィリアム、ウィリアム、ウィリアム・・)と
彼の存在をとっても強く感じていて
ミュージアムの中に入る前に入り口のところで私は夫に言いました。

「この中にウィリアムがいるから。
 ここで今日ウィリアムに会うから」って。

I think… そういう気がする
じゃなくてWe will see William. って断言したのです。

というのは、私の中で確信していたので
それを夫に言うことで証明したかったのです。

だって後から、「実はそんな気がしてたんだ」って言っても
ウソだろ?って思うでしょ。
夫にそう思われるだけじゃなく
きっと自分自身でも(まぐれだった)と思うと思ったの。


マニールの作りってエントランスが真ん中にあって
中に入ると左右に分かれています。

一瞬(どっちから先に行こうか)迷いましたが
足が勝手に左側の館の方向に向いたので
まずは左側の一つ目の部屋のマグリッドだとか
ダリだとかのシュールリアリズムの展示は・・・ 
もう何十回も見たからパスして
で、その次の大きな部屋は常設の部屋で
数点見たことがないイブ・クラインの作品に・・・
結構つまらな~い
(昔はイブ・クラインっていったら憧れだったのになぁ)
なんて思ったりしながら、その部屋を出て、でもって
その時にはウィリアムのことはすっかり頭になく
美術館でのひと時を楽しいんでいました。

そして建物の右側の展示に向かうために、夫と廊下を歩いていると・・・

「ウィリアムっ!」 

横を見ると、夫が(ひ~っ)って首を引いて
目を丸くしています。
(ウィリアムは幽霊じゃないんだから~)

ウィリアムは、私が彼がここに居る事を
予知していたと知らないので別にすっごく
ビックリした風ではありませんでしたが
夫が「実はこの建物に入る前、ユキコがここで
あなたに会うからって言ってたんですよ」
とウィリアムに言いました。

彼はそれでも全然ビックリしている風ではなく
「ああ、そう、じゃあ波動が同じなんだね」なんて飄々としている・・・

この時、何年も前に、ウィリアムの家のチベット風の修行部屋で
彼がお線香を焚いてチベット語でお経を唱えて
私は冷たい床におでこをつけさせられた記憶が蘇ってきました。

しかし当時は、
(なんでこんなことをやらされているのだろう)
(けったいなおっさんやなあ ←なぜか急に関西弁)
なんて思っていたの。
今でも、お線香臭くて、床が冷たくて、曼荼羅があって
結構怖い・・なんていう印象しか、その時の記憶はありません。

ウィリアムは外見は背の高い西洋人ですが
リチャード・ギアみたいに80年代にインドに行ってお寺に滞在し
お坊さんたちをサポートする活動をしている仏教徒だったのです。

インドといってもチベットのお寺が避難した場所です。
でも彼は現実には芸術家として生きることが
今生での修行ということで芸術を通じて彼にできる
世のためになる活動をしているのだと思います。

たぶん、そう。

ウィリアムは私に色々なことを見せてくれましたが
語る人ではありません。なので、私は彼が見せてくれたことから
推測しているにすぎませんが説法されるよりも
彼が見せてくれた様々な世界の方が
私にとっては確かな学びとなっていたことに
後になって気づきました。

当時ヒューストンの美術界では
ウィリアムはとっても有名人だったのですが
私はなぜか彼にかわいがられて
(そうなの、かわいい性格してるから ぷぷっ)
彼は私を色々なところに連れて行ってくれ
色々なものを見せてくれ
色々な人たちに引き合わせてくれました。

不思議と私の過去には、何人かこういう人がいて
例えば20歳そこそこの時はカソリックの神父さんが
このウィリアムのようにスピリチュアルの教育をしてくれました。

その神父さんも、語ることで教えてくれたワケでなく
行動で見せてくれました。

しかし、教会に行ったり、お寺に行ったりしたことはなく
宗教団体に入ったことはないにも関わらず
私の人生にはいつもそういう人がいたのは・・なんか面白い。

画廊をオープンする時は、ウィリアムは私に
壁の塗り方を教えてくれました。
画廊の壁って、真っ白できれいじゃないといけないの)

でも教えてくれたのは、今考えるとペンキの塗り方ではありませんでした。
彼は壁を塗る作業で、動きながら瞑想する方法を
私に見せてくれていたのです。
ペンキを一滴も床に垂らさず、手を全く汚さず
彼は画廊の壁を塗るのにきちんとしたジャケットを着たまま
静かにきれいに確かに動いていました。

ウィリアムの助けもあり一度など
展覧会のオープニングに400人くらいの人が来たこともあります。
それは、彼が知り合いの新聞記者に紹介してくれて
記事として取り上げられたからです。

うちの子はその時に、来ているお客さんの腿に
次々と噛み付いていました。
しかも、夫が仕事でいなかったので、そんな野生児を
パーティーの時に野放し状態です。
息子が4歳の時です。今考えると恐ろしい話です。

ああ、だんだん思い出してきましたが
私ったらウィリアムに随分お世話になってたんだ。
すっかり忘れていただよ。。。

さて、冒頭の話に戻ります。
やっと、戻ります。

随分とひっぱってしまったのですが
こんなこと書くつもりなかったのだけど
止まらなくなっちゃったのよん。ごめんねえ~


「心配してもしなくても同じだから。
なるようにしかならないから。」


これは予知の件があって、言葉だけじゃなく
本当にそう思うようになりました。

この長いお話で言いたかったこととは
ウィリアムがどんな人か、ではなく、また
私が予知できからすごい、とかでもなく
これから書くことがホントに言いたかったことです。

   - 次回につづく -


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▼ 編集後記ー@英語本スタッフー

心配してもしなくても同じだから。

なるようにしかならないから。

とマミ〜が言ってましたね。


ということで、本日の編集後記はこの曲をお届けします。

ケセラセラ♪